Adagio

ミオパチー的つぶやき〜Come for Treasure Dream
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小学校低学年2-2 (体育・運動会)
逆にそんな低学年時にだけ生じた「面倒な雑音」といえば
ガキんちょ特有の「単刀直入な残酷さ」だろうか。

「どうして速く走れないの??」(俺も知りてえよ…)
「どうしてそんなに痩せてるの?」(と、半袖からのぞく二の腕を握ってきたり…)
「なんで穴ぼこ空いてるの?」(とプール時、漏斗胸の変形箇所を触ってきたり…)etc(笑)

こちらが説明や対応に飽きるほど「しつこい」輩や、一線を越え調子こいてくるタワケも中には居た。そんな奴らを除けば、ほとんどの場合「単純な興味本位」で、仲間うちとしての「壁」の無い会話の一種だったように思う。

ただ中学年から高学年に向け、体育のメニューがドンドンきつく・辛くなってくるにつれ、それを免除される自分に対し「お前は楽出来ていいよな…(-_-)」「ほんとにお前出来ないのかよ?…」的な、冷ややかな視線を感じるようにもなってくる。

面と向っての「どうして?攻撃」もヘコむが、間接的なアピールを醸し出されるようになってくると、ちょっとした相手の態度も気に病むようになっていった。

一方で、男子の体力が女子を圧倒し始めるようになると、女子に対し(女子の視線というべきか)、それまで感じていなかったコンプレックスを抱くようにもなってくる。

見栄っ張りで「エエ格好しい」の男の子にとっては、この感情が結構厄介なのだ!。


前述した「ズルしてるんじゃないの?」的な疑念の目は、普段の集団行動においても向けられることはあった。そこいらの記憶は、またいつか辿ってみる。

ただ、その辺のところは重要で、自分でも心の中で「いや、全力でやっている!」と胸を張りつつも少しだけ「まだ頑張りが足りないのか?…」と不安になったりする訳で。

大人になった今でこそ完全に開き直る事が出来ているが、ハンデを持っている本人自体が「病気」というものの概念が分かるようで、分かっていない年齢である場合、周りの大人が

「OK!、お前間違ってないよ。十分頑張ってるぜ!! イケテル

と、フォローしてあげる事が大事だと思う。

なんで最後にこんな話を書き始めたかというと、中学年になり、体育専任男教諭の授業を受けたとき、何気ないその教諭の冷ややかな視線を感じ、幼心に

「こいつ、何となく疑ってるな…」

と、確信した1シーンを、書きながら思い出したのだ。

(いつかまた、つづく)
| Nori | ミオパチー (過去のお話) | 21:17 | comments(2) | trackbacks(0) |
小学校低学年2-1 (体育・運動会)
自分にとっては「体育の授業」が、よほど「ストレスを感じるもの」として深層心理に記憶されてしまったようで。

30後半になった今でも時折、

時間割を眺め、教科書をカバンにつめながら
「あ〜、明日は体育あるのか〜… 悲しい 」と重苦しい気持ちになる。。。

という夢を見、目が覚めては

「あー、もう学生じゃなかったわ…」と我にかえる、

なんてことがある。

「そんなにイヤだったかなぁ?…」と、自分でも驚く。

とはいえ、トラウマになるような強烈な出来事があった訳じゃなく、
漠然と「影」のようなものが漂っていたとでも言おうか。

実際、小学校低学年くらいまでの体育は、多少の苦手意識だけで済んでいたように思う。

とりあえず、形だけでも出来る所まで参加し、難易度が上がった場面で、見学させてもらうようにしていた。

鉄棒などは、先生の介助つきで前回りが数回出来たので、自分はそれでokにしてもらうとか。一方で逆上がりは一回も出来なかった。登り棒は1cmも登れず。
二の腕や大胸筋を使うものは、特にダメだった。

そのため球技全般が苦手になった。ボールを投げても相手まで届かなかったり、相手から軽く投げ返されても、しっかり受け止められず(瞬時に身体が追い付かないこともあり)、テンポ良いラリーを乱してしまうからだ。

ボールといえば、当時休み時間や放課後に流行っていたドッジボールを思い出す。自分も混ぜてもらったりしていたが、役目は逃げまくる専門。敵チームの子が自分にはボールをぶつけないよう気遣ってくれるのだ。いよいよ「味方チーム私だけ」になった時、初めて申し訳程度に軽くボールを「ポコン」とぶつけてくれて(もちろんそのボールを自分がキャッチし、すばやく敵を撃破できれば話は別なのだが)「はいアウト!」という感じ。

いま思うと、クラスメイトも私も、お互い遠慮がちに「役目」を演じあっていたというか

クラスメイトの
『ぜんぜん構わないから、一緒にあそぼうよ!(←心の声)』
的な好意に対し

『気使わせて悪いねー。じゃあせっかくだから…(←やはり心の声)』
的な謝意を込めて参加させてもらっていたような。

なので、数ゲーム参加させてもらったら

「あとは俺、見てるよ!」(あとは若いモン同士で楽しみな!みたいな感じ?)

と自ら宣言して、みんなの白熱した闘いをそばで見ていた。

みんなが楽しそうにワーキャーやっているのをそばで見ているのが
結構嫌いじゃなかったし、長い時間見ていても普通に飽きなかった。

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私に対するクラスメイトの配慮として覚えているのが、大運動会のクラス対抗リレー。学級会(ホームルーム?)で走者の順番を決めることになり「私をどこに持っていくか?」が議題に。

担任がお膳立てしてくれたのか、生徒たちの自発的な提案だったのかは覚えていないが、結論として、私が人の半分の距離を走り、クラス1の駿足「M君」が代わりに1.5人分走ってくれるという話に。戦略としては、駿足「M君」が私を抜かしていった人々に追いつき、その後も彼の実力をもって、高順位をキープしたままゴールしてもらおう!、というもの。

我がクラスの結果は……まったく覚えていない。。。

自分的には、与えられた役目をこなすことで、半ば意識が完結していたようにも思う。
他のクラスの生徒や観客の親たちの目を意識しつつも、とにかく全力を出しきったようには記憶している。

運動会ついでに言うと、入場行進や集団体操や玉入れ、フォークダンスなどは参加。
リレーは前述した特別扱いで参加。徒競走は自分のせいで「渋滞」が起きぬ様、最終走者にしてもらい、最後の最後に、観衆の拍手を受けながら、悠然とゴールした。

振り返ってみると、(当時の?)低学年の児童は実に素直で、担任を慕い、恐れていた。
殆どの教科をクラス担任がもっていたゆえか?、教諭の目は届き、影響力は絶大だった。
結果、ハンディを持っていた私も、大人たちの影響力?に守られたおかげで、淡々と過ごすことができたんだと思う。

(つづく)
| Nori | ミオパチー (過去のお話) | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
小学校低学年1 (早引き・欠席が茶飯事)
小さい頃からのエピソードや想いについては、沢山の患者さんが有意義な発信をされているし、自分の体験は「もう別にいいな。」と思うようになっていました。

たまたま春頃に同病のお子さんをお持ちのお母様からメールをいただき、とりあえず、参考になるならないは別として、一時例として、もう少し書き足していこうか、と思い直すようになりました。

先日の入院は絶好の機会だったので、記憶を辿りながら、ノートに下書きを始めたものの、数年前に思い返していた頃と比べ、「どうだったっけな?」と悩むようになってきました。。。

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担任は小学1年・2年を通じて、年配の女先生でした。
当時すでに40代半ばを過ぎておられたような?。
ノートのことを「お帳面」と呼んでいらしたのは、先生だけでした。
当然教諭としてもベテランだったわけで、のんきな自分以上に、母にとっては頼もしい存在だったのではないでしょうか。

聞き分けの無い子には「コラっ!!、○○!、ちゃんとしないか!!」と一喝する様な、生徒たちに恐れられる先生でもあり、「nori君は身体が弱いから、みんなで支えてあげる様に!」という無言のオーラを、その存在感をもって醸し出してくれていたように思います。

小学校に上がった当初の管理人は、まだ直ぐに風邪をひいては、「発熱」「自家中毒症」「気管支炎・肺炎」のセットメニューがしょっちょうでした。授業中に具合が悪くなり保健室直行というパターンも、まま有りました。

しばらく保健室のベッドで休み、自分的には「午後から教室へ戻らなきゃ」と考えている矢先、いつのまにか母が迎えに来てびっくりという事も。

どうも先生の目に私の顔が「ヤバイ顔」に映ったときは、こっそり自宅に連絡されていたようで。とまどう自分に笑顔で「今日んトコは帰んな」と
飲み過ぎた客をきづかう、イカしたBARのマスターのようなセリフをはくのでした。

普段は自分に対しても、厳しい(怖い)先生でしたが、一度保健室に向かう階段で(余程そのとき自分がフラフラに見えたのか)「nori、おんぶしてあげるから、先生におぶさんな」と言われたことがありました。「えっ!?(・o・)」って感じで、もじもじしていると「なんだお前さん、照れくさいのかい?、いいからおぶさんな」と促され、仕方なく先生の背の上に。私を背負い、先生が階段を降り始めると、ちょうど階段踊り場の小窓から、チャリンコで学校へとひた走ってくるオカンの姿が見えて。。。

ただでさえ誰かにおんぶされてるトコ見られやしないかとヒヤヒヤしている私に、すかさず先生が、「ほら、ちょうどお母さんが居らした!、お母さん〜って手を振ってごらん、ほらお母さ〜んって(^o^)丿」と、からかってくる…。『んなことできるかぁ!』と心ん中で叫びつつ、「いや、いいです(ヘラヘラ)」とあいそ笑いを力無い声で返した…。。。

…そんな記憶が、ふあっ〜っといま、甦ってきました。

それにしても、全体の記憶がボヤケて来ている割には、おかしな場面を覚えていました。

そうそう、早引きや欠席した日には、夕方クラスメイトが給食で出たパンを自宅に届けてくれていました。

(つづく)
| Nori | ミオパチー (過去のお話) | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
呼吸器との関わり2
−1のつづき−

小児科(ミオパチー外来)は中学生以来の再診となりました。

やはりファイルに綴じている、平成11年7月13日付け入院診療計画書には

●呼吸機能チェックの必要性アリ
(NIPPVの必要性につき検討するため)

とありました。

夏休み後半に入院。動脈血炭酸ガス分析の結果、主治医から導入を勧められました。

■筋疾患の場合、吐く息の弱さから酸素不足となる以前に炭酸ガス過多になり易いこと
■睡眠中、呼吸が緩慢になると二酸化炭素が身体から抜けずに溜まってしまうこと。
■溜まってしまった炭酸ガスは起きてもなかなか飛ばないので、その状態が続くのは筋肉にも良くない事
■人工呼吸器が呼吸を補助してくれることで夜間、呼吸筋を休ませることが出来ること

などの説明があったような。

先に書いた呼吸器使用同意書には
PaCO2 67.8mmHg(=Torr)と書いてありました
(当時そんな数字目にしてもチンプンカンプンでしたが)

ちなみに動脈血炭酸ガス分圧(PaCO2)は況晋撞柯堊瓦了愽犬
35〜45Torrまでが正常ラインだそうです。

主治医からの説明を受け呼吸器使用に同意

呼吸器トレーニング(機械に慣れる)するため、入院延長が決定

結果的にお盆休みが明けてしまったので、病院から9:00頃出社して、19:00頃病院へ帰還。保管しておいてもらった夕食食べ20:40に点滴刺して(検査のため)9時消灯

といったスケジュールを3、4日続けたのち、使用した呼吸器とともに退院。

となりました。

慢性呼吸不全と診断されてから、事あるごとに
「朝あたま痛くないですか?」「ボーっとする感じはないですか?」と質問されるようになって、初めて気付いたのですが

10代後半から導入直前まで

●気付くと寝てる
●休みの日は必ずコンコンと昼寝(何時間も目が覚めない)
●目が覚めると頭ガンガン(こめかみも脈打つようにピクピク)
●寝起きが極端に悪い(麻酔から覚めないみたいに)
●朝ご飯食べながら完全に眠りこける(しょっちゅう)

のような状況が続いていました。、

当時「疲れからだろう」と楽観していたのですが
今思えば、自覚症状以上に立派なシグナルだったかも知れません。
実際、当時より疲れやすくなっているだろう今の方が、寝起きの激しい頭痛や日中の睡魔がほんとんど現れなくなりました。
昔より眠りが浅くなった気がしているのに、意外です。
呼吸器のおかげなのでしょうか。。。

管理人もそんなに強い人間ではないので、この程度のお話でも導入当初はシリアスに受け止めていました。呼吸器に慣れるまで一年近くかかったでしょうか。

今は普通に生活の一部となっています。

また新たな段階になった場合、もっと長いあいだジタバタすることにもなると思いますが

ひとつ山越しゃ、ホンダラッタホイホイ
越しても越してもホンダラホダララホイホイ
どうせこの世はホンダラッタホイホイ
そのうち何とかな〜るだろう〜♪です。

(by青島幸男)


ふざけちゃいません。マジな心構えです!。

| Nori | ミオパチー (過去のお話) | 12:14 | comments(6) | trackbacks(0) |
呼吸器との関わり1
管理人と呼吸器の関わりについて、今まで詳しいお話はしていませんね。

自分的には「あるがまま」を書くだけなんですが、読み手を意識してしまうと、筆が進みませんでした(自分も患者さんの様々な事例を読ませてもらっているので)。
とりあえず、時折「チラ見せ」しているより、一度ハッキリお話した方のが良いな、と思うようになったので、書いてみます。実際、大袈裟な話ではありません。

ちなみに自分の場合、ちょっと稀なケースでは有るようです。
(ドクター達の話し振りを察するに)。

その理由についてはドクターからハッキリと「うら」を取っていないので、ここでは控えたいと思います。

とりあえず事実関係のみ、お話を始めますと

管理人は鼻マスクを介した呼吸器を就寝時のみ使用しています。
(当初はフルフェイスマスク=鼻・口両方を覆う)



一番最近測った呼吸機能検査によると、肺活量(SVC)は32.3%でした。
(※管理人 1.64リットル/正常値 4.98リットル=私の年齢身長の場合)

ファイルに綴じている人工呼吸器使用同意書をひもとくと

平成11年8月16日とありますから、今年で在宅使用丸8年になりますね。
独立後は相方さん、実家時代は母ちゃん、2週に1回の回路洗浄、毎度ありがとうございます(ました)。

使用のきっかけは、それまで無かった自覚症状が現れたからでした。
ただ、あくまで主観的な感覚なので、実際どれだけ「ヤバかった」かは、分かりません。

いま思うと、それこそ状況を「自覚」していなかった自分が
意識した呼吸をし過ぎ、かえって状態を悪くしていた気もします。

ただそのことが、真の状況を理解するきっかけになった事は確かです。

ということで

12年ぶりに外来受診

検査入院

検査の結果、呼吸器の夜間使用を勧められる

入院延長(呼吸器トレーニング)

退院(そのまま呼吸器を持ち帰り在宅使用開始)

という流れとなりました。


−つづく−
| Nori | ミオパチー (過去のお話) | 22:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
最初の会社
だいぶ前に書き上げていたんだけど、自分的判断で「お蔵入り」させていた記事。
どうしようかと思ったけど、せっかく書いたのでupする事にする。。。

会社勤め の続き。

分かってるようで、案外自分の病気のことって判っていないみたいで。
だからこそチャレンジもするんだろうし、いい経験も出来るわけだけど。

やたらと多い「セレモニー・当番・集団作業」が、私にとっては結構しんどかった気がする。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

30人程度の事業所だったせいか、「全員野球」がモットーだったからか
全社的な雑務を部署の別なく分担するシステムだった。

「妙に会社チック」な社風も相まって…

てんこもり当番制 (ゴミ出し・会議室掃除・上司へお茶入れ・郵便出し)
スペシャル朝礼 (指名されたら社訓唱和先導→スピーチ披露→エイエイオー!と掛け声)
業務日報毎晩提出 (添削つき)

…とメニュー満載。

侮れなかったのが1日2回の郵便当番。
各フロアを巡回し、投函する郵便物を「車輪つきバック」に目一杯詰め、徒歩5分くらいの郵便局窓口まで出しに行くもの。重すぎると意外に車輪が転がらない…。はた目には「砂漠で遭難しかけたキャラバン」の様な、ヨタヨタぶりだったろう。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「自分でも驚くほど出来なかった集団作業」

【力は要らないが、スピードが要求される機械的作業】
「ノルマ数」課せられた、人海戦術の封詰作業。
周りに本気出されると、私が想像以上にトロイ事が判明。
最後は運動会の徒競走同様、みんなが私のゴール待ち状態となった。

【そこそこの力が要る、継続した作業】
商品(封詰)を「バケツリレー」でワゴン車へ搬入(東京地検強制捜査風)。

何とか持てる重さゆえ「火事場の○○力」を期待したが、リレー始まりすぐに腕疲労。積荷を受け取った瞬間落としそになり、態勢整えつつ次の人に渡すも、相手がしっかり受け取る前に力が抜けてしまい、リレーのリズムを狂わせた。

ワゴン車は郵便局へ(第三種郵便)

【いわゆる力仕事】
国際展示場に長テーブルを搬入(展示会)。

室内での配置換えくらいはこなせていたので、やってみるしかなかった。
遥か彼方の駐車場。先輩と2人で運び始めて直ぐに「例の」腕疲労…。当然「限界」まで耐えるが、「マジ限界」はいきなり来るらしく、予告なしに「ドスン」って落としてしまう(・・;)。
一度限界が来るともう続かず。「ドスン」、あ、また「ドスン」と、運んじゃ置いての繰り返し。何だかとても長い時間だった。

【帰社時間頃に行う他愛のない作業】
業務日報を書く頃には、身体ヘロヘロで、頭はパソコンに例えると「砂時計出っぱなし状態」。周りはテキパキ書いて上司に提出。回収し終わらないと上司も帰れず、「早くしろ!」って空気に押され、大雑把な書き方で提出しては、必ず翌朝指導された。

未経験の「力仕事」については、自分の能力に対する「ちょっとした過信」と「はかない希望」が相まっていたかもしれない。「断れない雰囲気だった」というのが正直なところか…。

実際の話、過去に全く同じ作業の経験があり「結果がハッキリと見えている事」って少ないみたいだ。

疲労がMAXと化すと、思考まで滞るもんだとも痛感。

「やっとこさ出来るものは、持続出来ない」という当たり前の現実、というよりか
「出来てる」と思っていた事が「やっとこさ」だった現実を改めて思い知った。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

悪評が流れたか、ある日社長室に呼び出される(小学生かよ!=校長室)。

この際なので

私 「実はこうこうな病気でして…」 と説明するも
社長 「それでも少しぐらいなら力つくだろうから、毎日腕立てをしなさい」
私 「……は、はぁ」 (なるほどそうかも…でもあんまり期待しないでね…f^_^;)

てな、やりとりもあった。

良いのか悪いのか「アルコールに弱くないタチ」だったので、お酒の付き合いはこなしていた。自分を知ってもらう「名誉挽回の時間」と思い、毎晩遅くまでヤッていたけど、端から見れば「ホントに身体悪いの〜?」と思われてたかも。

結局その後も毎日、流れについていく事で精一杯。任された簡単な仕事さえ、あれこれ積み残してしまったり、ミスしてしまったり…。

最終的に、直属の上司からレッドカードを出された。
先輩方は同情してくれたが、上司の判断は正当だったと思う。

私が社会人1年生でなければ、もっと図々しく開き直れていたかも知れない。「出来ない事」をハッキリ言えれば(許してくれるかは別として)、違った展開が存在していたかも知れない。

ま、いずれにしても過ぎたこと…。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

以上、よもやま話終了。
長くなってしまいましたが、最後はマジメに考えてみます。

学生時代からきちんと自分をみつめ、勉強・運動とも人並み以上の努力をなさってきた
「多士済済のミオパチー患者さん」の存在を知るようになり

「自分は何てのん気だったんだろう…<(_ _)>」と、しみじみ思う。

私は病気とうまく付き合っていく知恵として、「どうにもならないモノは無い事にする」「あきらめ上手になる」ことを覚えた。しかし無意識にこれを「自分にとって必要な場面」においても「逃げ」として利用してしまっていた気がする。必要な努力、必要な思考を怠るという形で…。

「頭で勝負」か「アート系」か「手に職(資格)」か、という親の勧めに耳を傾けなかった私にとって、その意味を肌で知る事が出来た「研修期間」が最初の会社だったかも知れない。「何とか成るだろう」という楽観から生まれた産物。結果的には貴重な体験だったのではないかと思う。

新人のうちは「雑多な仕事をいかにテキパキこなせるか」を見られ、それをクリアできた時点で、少しづつ仕事が与えられていく職場が多いかもしれない。
ただ、雑務の処理能力だけでレッテル貼られちゃうと、ハンディある者にとっては辛いところがある。

もちろん健康な人だって、倍の仕事を抱えればテンパるだろう。「裁判で過労死と認定」なんてケースの職場もある訳だし、業務の正当性と個人能力の客観的評価は確かに難しい。お金を貰う事自体、甘いものではない訳だし、「働けるだけで」文句は言えなくなってしまう。

だからこそ当時は「やっぱり自分など社会では通用しないんだ」とメチャメチャ落ち込んだ。
でも、人には得意、不得意があるものだし、仕事や職場もいろいろ。

会社の環境ばかりは「入ってみないと」分からない
自分自身の実力も「やってみなけりゃ」分からない

と、今は思えるようになった。

いつまで、どのような形で仕事と関わっていけるか分からないが、この先、社会や仕事の在り方も、きっと変わっていくんじゃないかと、淡い期待を持っている。
| Nori | ミオパチー (過去のお話) | 20:19 | comments(3) | trackbacks(3) |
信州夏合宿?
世間はお盆休み。帰省されている方も多いかと。
両親とも関東の人間なので、私にはいわゆる「田舎」がない。

10年くらい前まで、盆休みは友達と泊りがけで遠出をしていた。
私も皆に遅れて免許を取得。伊豆や房総、長野方面によく行った。

数年前、試しに「マシ〜ン無し」で2度ほど外泊してみたのだが
やはりどうも寝つけぬ事がハッキリして以来、お泊りしてない。

導入後しばらくは「マシ〜ンのせい」で寝つけなかった事を思えば
ある意味慣れって凄い…。

去年の夏、ポータブルな「マシ〜ン」に代えてもらったけど
結局この一年間「お泊りなし」だった…(ーー;)。

もっとアクティブにならなければ!!...((((=・o・)ノ ゴーゴー♪

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10年ドコロか、20年以上むかーし むかしの話。
小学生の夏休みに、よく親に高原へ連れて行ってもらった。
「ただノンビリ」の旅行ではなく、必ず山登りやトレッキングのオマケ(メイン?)がメニューとして付いていた。

高原好きの父と、暑がりの母あっての事とは思うが、「オマケ」については、私の心身鍛練のために考えてくれたメニューなのだろう。

根城(宿)になった高原は長野県の 上高地、乗鞍、白馬など。

その周辺には、必ず片道1、2時間を要するトレッキングコース(なだらかな道)があり、半日がかりで往復した。

 上高地=梓川両岸の自然散策路(河童橋〜徳沢まで2時間)
 乗鞍=乗鞍高原 一ノ瀬牧場
 白馬=栂池自然園(尾瀬の様な長い木道)

山登りとして経験したのはこの4つくらい
乗鞍岳  3026m  2600mの畳平までバス。そこから頂上まで1時間30分。
西穂高岳 2908m  うち西穂山荘(2385m)まで 3時間30分。
八方尾根 うち第3ケルン(八方池)2080mまで バス・リフトを乗り継ぎ黒菱平から1時間40分
白馬大雪渓 1560m 猿倉までバス。そこから白馬尻(雪渓の麓)まで、徒歩1時間20分

我が登山隊の場合、当然「標準所要時間」以上の時間を要したと思うが…。

特に印象深いのは、一番高い標高に上った乗鞍岳と
一番長丁場で辛かった西穂高岳。

乗鞍岳は富士山同様、木々の少ない岩剥き出しの山。
小岩がグズグズ崩れる場所など、ズルズル足をとられたまんま父に腕をつかまれ
「吊り人形状態」で引きずり上げられてたような。

西穂高はいわゆる山道。木の根が作った自然の階段のような所はよじ登れず、やはり父が先に立ち私を引っ張り、後ろから母が私のお尻を押し上げるという状態だったと思う。

山やトレッキングコースなどでは、流儀なのか、すれ違う人と「こんにちは〜!」と挨拶をする。頂上まであと少しの所を必死で登っていると、降ってくる人が「もう少しですよ!、がんばって!!」と声をかけてくれたりも。下界では有り得ない清々しいやりとり。なんかとっても「イイ感じ」(今でもそうなのかな?)。

疲れはハンバじゃなかったが、「景色の素晴らしさ」が、その代償として余り有るものだった。
達成感は少なからず自信になったと思う。
余分な体力と時間・お金を割いてくれた親に感謝。

また行きたい気持ちは、山だけに「山々だけど」←(((=_=)))さぶっ(顔文字入手)

今は足の衰えや空気の薄さを考えると、高原に行く事さえ勇気が無い。
当時は「また何時でも行けるよ〜」と思ってたけど…。

でも上高地などは結構年輩のご夫婦がたくさん訪れている。杖をつきつつ、ゆっくりゆっくりトレッキングコースを歩いていた。きっとお若い頃から鍛えていらしたのだろうが、全くもって尊敬してしまう拍手

「今でも景色は変わってないのかなあ〜」と
夏になると、時折思い出す。


穂高連峰と梓川(上高地)


乗鞍岳頂上付近


白馬大雪渓
| Nori | ミオパチー (過去のお話) | 22:00 | comments(5) | trackbacks(1) |
今の自分
どこまで書くべきか
ここまで書かなくてもよいかと

気持ちではなく、頭で考えてしまっている。

ブログを始めておいて何だが、自分を表現することがあまり得意ではない。

不安定な事柄については、余計に慎重になってしまう。

思うところあり、今の自分をありのままに書いてみる気になった

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

実家を出て、付き合っていたパートナーと暮らし始め、2年半になる。
夜間使用する呼吸器の洗浄・組み立ても相方がやってくれている。

諸事情で正式な形のパートナーと成れないでいるが
相方は共働きのうえに、家事もこなす。

「申し訳ない…」という負い目ばかりの気持ちから
「ありがとう」と素直に思えるようになったのは、つい最近。

パートナーは私と違い、核心的な話になると気持ちを表に出さない。

本当は無理をしてるんじゃないか、我慢してるんじゃないか

しばらく私は相手の心のうちを図れないでいた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

私にとって今の職場はこのうえなく居心地が良い。
とはいえ毎日通い、メニューをこなすことで精一杯。

最近その「ありがたい環境」でも、段々とつらくなってきた。
外だけでは「イイ顔」を見せていたいのだが。

この先症状の推移によっては不自由が増えていくかも知れない。
先日専門外来でポジティブな考えとして、手帳申請を勧められた。
行政の窓口を頼り、長期的な相談にのってもらったらどうか、とも言われた。
いずれにしても、身体と相談しながら「次の展開」を考える時期にきている。

偉そうに記事やコメントを書いているが、同病の方々と関わりを持てることで
いつもこちらの方が救われている。
いろんな人が居て、いろんな生き方があるんだと…。

今まで私は
「noriだから話すんだけど」と相談をもちかけられたり
「何でまだ話してないのにそれが分かっちゃうの!?」
と驚かれることが多く

人より少し「人が判る」と自惚れていたみたいだ。

最近自分の「ものさし」があてにならない事がよく分かってきた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

自分の身体もこの生活もこの先どうなっていくかは分からない。

男の立場としての葛藤や悩みはある。
女性の立場として、悩まれている方もおられるだろう。

ただ自分で決めていることは、どんなに凹んでもいいから

「常に馬鹿言って笑っていよう」と

私がどんな状況になっても、相方とは対等な立場でいようと
(もちろん感謝は忘れんようにしてだけど)

とりあえず、いけるところまで行ってみる。
| Nori | ミオパチー (過去のお話) | 16:12 | comments(10) | trackbacks(0) |
会社勤め
そういえば、あまり最近の自分に触れていないなと。
別に避けてた訳じゃなく、幼少期から順に辿っていただけ。
今回は勤めについて書きたいと思います。

仕事の話については、これから就職を迎えられる方に、要らぬ不安を与えないかとの心配があります。
一方で、自分がミオパチーかどうか分からぬまま、職場で苦労されている方も居られるんじゃないかと思います。

職場は学校とは違い、その環境によって様々なケースが存在すると思うので、私の話はあくまでも一例として読んで頂ければと。

多少「ブルー」なエピソードもありますが、それは些か私自身が職場選びに「ムコウミズ」だったことと、健康な方々でも「ストレスフル」な現場だったという(職場の先輩談)背景がありますので。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

今の勤め先は3か所目で、もちょっと頑張れれば丸10年に。1か所目は数か月でお払い箱に。1年半の就活後、2か所目はバイト待遇で2年。その後今に至ります。職種的には3か所とも同じような業種で、内勤です。

小さな会社ですが、幸い人には恵まれています。通院の半休が重なっても、嫌味を言われた事はありません。何故だか社内に病人が多く、通院や入院という言葉に割と鈍感な風土で、私としては助かります。とはいえやはり中小企業。敢えてこちらからは、はっきりと病気の事を説明してはいません。

今は出社したら、1日パソコンの前に座っていれば良い環境(数年前まで紙とえんぴつ)。姿勢筋が弱いので、座り続けるのも結構キツイですが、動きを求められずに済む業務は、自分にとって非常に有り難いです。

1か所目は「お払い箱」と書きましたが、非力な女性でも普通にこなせる「人並みの動作」が、自分にとっていかに大変なことなのか、思い知らされたのが最初の職場でした。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

もちろん「いわゆる力仕事」は無理だと承知していました。でも小学校時代、教室の木製机などは、引きずりつつも壁際まで運ぶ事が出来た訳で。「何とか出来る」という動作でも、求められる行動や重量・スピード・継続時間により、どこまで自分が対応出来るのかは、やってみなければ分からない所がありました。加えて、自分自身の精神力や潜在能力に対する期待もあったので。

しかし問題は「厳しい作業自体」よりも、疲労から来る気力や集中力の低下が、全ての単純作業へ支障をきたすという現実でした。流れについていく事に精一杯で、全てが疎かになり、ミスも重ね、迷惑もかけてしまいました。

上司より引導を渡された当時は、初めての職場という事もあり「やっぱ自分は通用しないんだ」と、その会社というより、社会から自分の全てを否定された想いがしました。しかしその後違う職場での出会いを経て「職場も人も色々なんだ」と身をもって知りました。短いながらもあの経験は貴重だったと思えます。

今は「出来る事」も当時とは微妙に変わっているし、この先自分にどんな展開が待っているかは分かりません。職場に限らず、自分と相性の合う場は絶対に存在するものと、信じています。
とりあえず、一日一日をクリアしていく日々。

最初の職場の環境や、私にとってどのような事が負担となったかなどの話は改めて。
| Nori | ミオパチー (過去のお話) | 14:27 | comments(9) | trackbacks(0) |
幼稚園
既に「書いたつもり」でいた、幼稚園のこと。

運動障害は明らかだったが、私立幼稚園に入れてもらった。何でも園長が大らかで、母の心配をよそに「お母さん、大丈夫ですよ、段々なれますよ」的な事を言ってくれたらしい。
お寺ではなかったでが、園長の友人が僧侶らしく、仏教色があふれていた。行きと帰りに園内の地蔵に手を合わせるのがしきたり。週一回(だったか?)ホールで座禅(正座で)、花祭りや針供養、芋掘りなどの行事も覚えている。近所まで通園バスが迎えに来たが、私は行きも帰りも、母の自転車に乗せられて通った。バスの昇降ステップが問題だったような気がする。

男の子たちが走り回っている中、砂場で黙々と泥団子を作っていたような。
何でだか砂場が大好きで、水を溜めて「池だ」と喜んだり、飽きるとそこに砂を埋め、落とし穴を作っては、人に踏ませて喜んでいた(暗い子だね〜(・o・)、でも楽しかった楽しい)。

加減の分からぬ友達に突き飛ばされる事が数回あってから、友達に背後へ廻られる事を、必要以上に怯えていたのを思い出す。目方も軽いし、踏ん張れないし、受身が直ぐとれないしだから、きっと無意識の防御反応だったのかもしれない。当時、意外にも?生傷が絶えなかった。

多少「からまれ」もしたが、気は強い方だったから「ゆり組の痩せ〜!」と馬鹿にされれば、「ばら組の怪物〜!」とやり返していた(何故かそのやり取りだけが印象に残っている)。確かにガタイの大きな相手ではあったが、悔し紛れとはいえ「怪物」は言い過ぎたと思う。

当時、スーパーカーというスポーツカーが流行っていたのだが、たまたま園長の知り合いがスーパーカー「ランボルギーニ・ミウラ」(←すげー、今でも覚えてるわ俺)のオーナーで、その人のご好意で、園児達のために車を園庭へ乗り付けてくれる事になった。

しかし運悪く、恒例の「へビーな風邪」に見舞われ、楽しみにしていた当日は自宅謹慎。

熱にうなされながらも、えらいしょげてた気がする。
多分男の子で当時のブームを知る方なら、この悔しさを分かって頂ける事と思う。

後日、その時撮られた車の写真を頂いた。(やっぱ写真じゃイヤ!悲しい

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

出られぬ行事も多かったが、キャンプの山登りに参加させてもらった記憶がある。男の先生2人に両腕を抱えられ、女の先生にお尻を押し上げてもらい、吊り人形の如く山道を引っ張り上げられていたシーンだけが記憶に残っている。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

幼稚園のホールは、園が使用しない時間、お稽古事の貸しスペースとなっていた。
そこに通って来るピアノの先生との出会いがきっかけで、小学校中学年まで、ピアノを習う事になる。幼稚園に通えた成果のひとつだ。

行事参加にいたる経緯やその時の私の気持ちなど、忘れていることが殆どなのだが、印象的なシーンだけは不思議と覚えているもので、自分でも驚く。
| Nori | ミオパチー (過去のお話) | 18:05 | comments(5) | trackbacks(0) |
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